身の回りの出来事や心境を記したブログ. 常に相互リンク募集中.
たった一人の人間に…
一体どれだけ価値が…
あるというのだろう…
あるいは全くの無人…
そんな場所に一人で…
同じことだ
巨大の中に微小があっても
その存在は無に帰すだろう
また観測者の喪失において
価値を得られる術などない
悲しきかな
結局…
人の中に自分の居場所をつくれない者は…
自分の価値を見出だせず存在を失うのか…
こんな時間にこんばんは。これから述べる事は私の中の一つの考えに過ぎないから。深くは気にせず流し読みしてください。無限の人ごみの中にいる1人の人間。それは宛ら数学の極限の話に似てないかな?(数学馬鹿で申し訳ないけど。)1/nで表される式のn→∞における極限。その極限値は0ではあるけど、その値は決して0ではないよね。それと同じ。巨大の中の微小は無に近づいても無ではない。その巨大を作っているのはその微小の集合なんだよ。確かに人一人いなくなったところで巨大に影響は出ないかもしれない。だけど、それを作り上げる微小が無ければ巨大は成り立たないし、人ごみなど出来ない。それに、人の価値というのは人と比べるような物ではないと思うよ。観測者の喪失とはまた言い得て妙だね。ただ、私は観測者がいないときは価値を得られないのではなくて自分の価値を見つける事が出来ないだけだと考えてるけど。人の中に自分の居場所がある・・・なんて思えるのは中々難しい事だと思うよ。特に私達のような大人になりきれない存在にはね。でも、自分では実感が出来なくても、案外人の中に自分という存在は根付いてたりするものだよ。人の防衛本能の延長線上なのか、人は必要とされていないという思いに敏感なんだと思う。それ故に、その時は必要としていなかっただけで決して拒絶している訳ではないし不要であるという訳ではない、という事に気づき辛いんじゃないかな。あまり自分を過小評価しすぎないようにね。受験期に入って人との繋がりが薄くなった感がある分、そういうことも感じやすくなると思うけど、そういう時こそ人は人を欲するものだから。本人も気づかないうちに。とまぁ、偉そうな事は綴ってるけど、私だってこの考えが全てじゃないから。これに反する事も考えるし、currentのような考え方をする時もある。でも、あまり気負わない方が良いと思うよ。一つの意見として、何かの参考になれば幸いです。長々と失礼しました。
ずいぶん遅れてしまいました,すばらしいコメントをありがとう.一応もうちょっとまとまった記事にして,次に新しく投稿する予定だったんですが,,,まとめきれませんでした(汗)ここで言った人ごみの中での価値の消失っていうのは,自分の存在が外から見てわからなくなる,つまり自分固有の価値を判定してもらうことが不可能になるというような意味で書きました.いるかいないか分からない人を評価するのは無理でしょう. ただ,認知できなければ存在しないのと同じというのは私なりの考えでしかないのですが. ちなみに,比較についてはこの記事の中では述べていないつもりでした. まぁ,物質的な価値,いわゆる希少価値のようなものに関しては,蒼蕪氏のおっしゃるとおりです. 表現に関しては,多少他のことと関連付けて,かつ字数揃えがうまくいくようにということで極限の考えを思わせるような文章を書いてしまいました. わかりにくくてすみません.また,観測者の喪失というのに関しては,上で言ったとおりなのですが,やはりあるものの存在とは他者に評価されて始めて価値を持つと私は考えているんですね. もし人間が1人を除いて滅びてしまって,最後の生き残りがとんでもなく素晴らしい発明をしようとも,少なくともその時点で意味はないというようなことです. 人によってこう思うかどうかは違うでしょうけれど. でも,実際問題,例えば地中深くに生息している微生物など,そういう目にとまらない存在に対して価値を見出せる人はそれこをごく一部だと思うんですよね. それらは十分な数の観測者を持っていないのです.ちなみに,こんなことを言っていいのかわからないんですが,,,現在自分がこの記事に書いた環境におかれているとか思っているわけではないのでご安心ください. ただ,この世は本質的にそういうものなんだろうなと,,,やっぱり世界は悲しいものだと思うのです.,,,というかこの記事,詩のつもりだったんです. センスなくてすみません. 一応各部分ごとに字数揃えはやっていたんですが,,,
あれま、これは色々と勘違いを申し訳ない。私の読解力・注意力が足りてないね。読み取るのならもっと根本的なところまで読み取れるようにしたいものです。読み取れすぎたらそれはそれで怖いけど。共感できる部分もあれば、違うと思う部分もあって。でも、自分でもしっかり白黒ついているわけではないからそこすら曖昧で。なんと言うか、本当に人の考え方というのは千差万別だなと思います。平等権が画一化や均一化をはかるのではなく違いによって差別しない事を掲げるように、個性って大事だなぁとかあまり関係のない事を考えてしまいました。いや、平等権云々の話はあまり考えてないけど。まぁ、currentの主旨とは違ったようですが、先のコメントも本音ではありますので。一つの考えとして受け取っておいてください。ではでは、お騒がせしました。
こんばんは. ずいぶんまた返しが遅れてしまいましたが,,,(汗)いえいえ,読者に適切に主張を伝えるのも筆者の仕事なので,,,私の表現法が適切でなかっただけのことです. 気にしないでください(苦笑) まぁでも,貴重な意見がいただけてよかったです.そうですね,世の中には人の数,,,いや,人の数以上に考え方はありますからね. 自分の中でだって対立する意見はありますし,考え方が変わる場合もよくあります. そういうのを考えてみるのもちょっとおもしろいかも知れませんね.ではまた.
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4 件のコメント:
こんな時間にこんばんは。
これから述べる事は私の中の一つの考えに過ぎないから。
深くは気にせず流し読みしてください。
無限の人ごみの中にいる1人の人間。
それは宛ら数学の極限の話に似てないかな?(数学馬鹿で申し訳ないけど。)1/nで表される式のn→∞における極限。その極限値は0ではあるけど、その値は決して0ではないよね。
それと同じ。巨大の中の微小は無に近づいても無ではない。その巨大を作っているのはその微小の集合なんだよ。
確かに人一人いなくなったところで巨大に影響は出ないかもしれない。だけど、それを作り上げる微小が無ければ巨大は成り立たないし、人ごみなど出来ない。
それに、人の価値というのは人と比べるような物ではないと思うよ。
観測者の喪失とはまた言い得て妙だね。ただ、私は観測者がいないときは価値を得られないのではなくて自分の価値を見つける事が出来ないだけだと考えてるけど。
人の中に自分の居場所がある・・・なんて思えるのは中々難しい事だと思うよ。特に私達のような大人になりきれない存在にはね。
でも、自分では実感が出来なくても、案外人の中に自分という存在は根付いてたりするものだよ。
人の防衛本能の延長線上なのか、人は必要とされていないという思いに敏感なんだと思う。それ故に、その時は必要としていなかっただけで決して拒絶している訳ではないし不要であるという訳ではない、という事に気づき辛いんじゃないかな。
あまり自分を過小評価しすぎないようにね。
受験期に入って人との繋がりが薄くなった感がある分、そういうことも感じやすくなると思うけど、そういう時こそ人は人を欲するものだから。本人も気づかないうちに。
とまぁ、偉そうな事は綴ってるけど、私だってこの考えが全てじゃないから。これに反する事も考えるし、currentのような考え方をする時もある。
でも、あまり気負わない方が良いと思うよ。
一つの意見として、何かの参考になれば幸いです。
長々と失礼しました。
ずいぶん遅れてしまいました,すばらしいコメントをありがとう.
一応もうちょっとまとまった記事にして,次に新しく投稿する予定だったんですが,,,まとめきれませんでした(汗)
ここで言った人ごみの中での価値の消失っていうのは,自分の存在が外から見てわからなくなる,つまり自分固有の価値を判定してもらうことが不可能になるというような意味で書きました.
いるかいないか分からない人を評価するのは無理でしょう. ただ,認知できなければ存在しないのと同じというのは私なりの考えでしかないのですが. ちなみに,比較についてはこの記事の中では述べていないつもりでした. まぁ,物質的な価値,いわゆる希少価値のようなものに関しては,蒼蕪氏のおっしゃるとおりです. 表現に関しては,多少他のことと関連付けて,かつ字数揃えがうまくいくようにということで極限の考えを思わせるような文章を書いてしまいました. わかりにくくてすみません.
また,観測者の喪失というのに関しては,上で言ったとおりなのですが,やはりあるものの存在とは他者に評価されて始めて価値を持つと私は考えているんですね. もし人間が1人を除いて滅びてしまって,最後の生き残りがとんでもなく素晴らしい発明をしようとも,少なくともその時点で意味はないというようなことです. 人によってこう思うかどうかは違うでしょうけれど. でも,実際問題,例えば地中深くに生息している微生物など,そういう目にとまらない存在に対して価値を見出せる人はそれこをごく一部だと思うんですよね. それらは十分な数の観測者を持っていないのです.
ちなみに,こんなことを言っていいのかわからないんですが,,,現在自分がこの記事に書いた環境におかれているとか思っているわけではないのでご安心ください. ただ,この世は本質的にそういうものなんだろうなと,,,やっぱり世界は悲しいものだと思うのです.
,,,というかこの記事,詩のつもりだったんです. センスなくてすみません. 一応各部分ごとに字数揃えはやっていたんですが,,,
あれま、これは色々と勘違いを申し訳ない。
私の読解力・注意力が足りてないね。
読み取るのならもっと根本的なところまで読み取れるようにしたいものです。
読み取れすぎたらそれはそれで怖いけど。
共感できる部分もあれば、違うと思う部分もあって。
でも、自分でもしっかり白黒ついているわけではないからそこすら曖昧で。
なんと言うか、本当に人の考え方というのは千差万別だなと思います。
平等権が画一化や均一化をはかるのではなく違いによって差別しない事を掲げるように、個性って大事だなぁとかあまり関係のない事を考えてしまいました。いや、平等権云々の話はあまり考えてないけど。
まぁ、currentの主旨とは違ったようですが、先のコメントも本音ではありますので。一つの考えとして受け取っておいてください。
ではでは、お騒がせしました。
こんばんは. ずいぶんまた返しが遅れてしまいましたが,,,(汗)
いえいえ,読者に適切に主張を伝えるのも筆者の仕事なので,,,私の表現法が適切でなかっただけのことです. 気にしないでください(苦笑) まぁでも,貴重な意見がいただけてよかったです.
そうですね,世の中には人の数,,,いや,人の数以上に考え方はありますからね. 自分の中でだって対立する意見はありますし,考え方が変わる場合もよくあります. そういうのを考えてみるのもちょっとおもしろいかも知れませんね.
ではまた.
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