2008/01/17

手の中には生きた意味刻んでも虚しき華と知る

/ Dir en grey - THE FINAL

所詮一人の人間の存在など,,,


最近記事が少し暗いかも知れません.
そろそろ日常に戻していきましょう.

あ,あと一人称を変えよう企画.
これからは極力"私"を使うつもりです.


今日は総合の時間に,この前書いた小論文が返って来ました.
しかも,抜粋のプリントに載っていました.
#私の他にも,ネットで見たことのある名前が2人ほど,,,
#先生の作品も載っていましたが.

お題は,"正しいことば"だったわけですが,,,
4人載っていたうち,私以外の3人は無難な主張でした.
"言葉に正しいも間違いもない"ってやつです.
それに対して,私の主張は反感を買いそうなものでした.
"言葉は文化の基盤. 慣習を破る間違った言葉は使わないべき"って感じです.

勘違いはしないでくださいね?
普段からこんなこと思っているわけではありません.
ただ,ちょっと他人と違った主張をしてみたかっただけです.

そこで間違った言葉の例として挙げた"ら抜き言葉"ですが.
ちょっと文字数と内容構成の関係上語れなかった,成り立ち予測を書いてみます.
#唐突では意味がわからなくなりそうなので,少しかぶりますが,,,

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"ら抜き言葉"とは五段/サ変以外動詞に可能の意味を表す助動詞がつく場合,
本来"られる"であるはずが,"れる"になってしまうものである.
例えば,本来"食べられる"のはずが"食べれる"といった具合だ.
ところで,五段活用動詞には,助動詞をつけなくても,下一段化して可能を表す用法がある.
"行く"が"行ける"になるといった具合だ.
こういう用法があるので,五段動詞にはあまり可能の"れる"がつかない.
ということは,普通五段動詞につく"れる"は,自発/尊敬/受身のいづれかの意味である.
ここで,ラ行五段活用動詞を見てみよう.
"知る"を例として挙げるとすると,
可能を表す場合,下一段化して"知れる"となる.
自発/尊敬/受身を表す場合,未然形"知ら"に助動詞"れる"がつき,"知られる"となる.
気付いたであろうか?
"知れる"と"知られる"の形の差は,"ら抜き言葉"にそっくりではないか.
これを,"可能のときはらが落ちる"と勘違いしたものが"ら抜き言葉"だと思われる.
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真相は分かりませんがね.
皆さんはどう思いますか?
#とくになおさんとかXIIIさんとか.


そして次の小論文.
"仕事と生きがい"についてだそうです.
マズイ,悲痛な文章になってしまう危険性が,,,
小論文で感情攻めなどあり得ませんからね,,,

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ただの自己満足な人生に意味なんてない.
その存在が消えても,周囲に何の変化もないなんて,,,
生きているだけ無駄ではないだろうか?
だから,必死で自分を磨いて,
人の役に立つことを求めるんだ,,,
いや,役に立つなんて大それたものでなくてもいい.
ほんの少しでも,周囲に影響を与えられれば,,,
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この路線で正直に思うことを書いていたら,,,
とても"生きがい"なんて呼べるものではありませんし,
まったく的外れもはなはだしいですね.


あと,まったく関係ありませんが.
○○さん,年頃の男子にああいうことしちゃいけませんて.
めっちゃあせりましたよ,,,ホントに.

2 件のコメント:

XIII さんのコメント...

相変わらずの言語の分析に
ただ感嘆するばかり

currentの説はかなり有力だと思うよ-
けどそんな風に
可能はラ抜きだと勘違いってよりかは
その使用が無意識的に流用されたのかな-
と思ったり

文法を意識しながら話す人はいないですからね

current さんのコメント...

コメthx

多分言いたいことは私の思っていることと同じですね.
多少表現が不適切だったのかも知れません.
私の思っていた"勘違い"とは,無意識的なものですから,,,
使っているうちに混同してしまった感じでしょう.

まぁ所詮言語なんか伝わればいいんですがね(笑)